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ここ何年かで廃車された103系(のうちの何両か)
ここ何年かで凄い勢いで103系が廃車になっています。
その中で何両かピックアップしてみました。
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クハ103−558
1994/2/12:的場駅にて
大雪の川越線を走る103系:いつもの103−3000番台が
検査に入ったときに代わりに走った編成です。
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クモハ103−65
1994/7/3:同じく的場駅にて
この編成はこの川越線を最後に廃車になる予定でしたが、
仙石線で水害があり、応援に仙石線にいっていました
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クモハ103−121
1994/7/16:西船橋駅にて
最後まで側扉がステンレスにならずに鋼製の扉でした。
内側が塗られているのが特徴でした。
ちなみに運転席すぐ後ろの扉は
2枚扉の片方がステンレスでもう片方が鋼製扉であり、
ステンレスの扉を無理矢理塗った跡がありました。
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クモハ103−121の扉
1994/8/21:武蔵野線車内にて
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習志野電車区の500番台
1994/6/5:お茶の水駅にて
総武線を走る500番台(左側)。
黄色い低運転台車は先に居なくなってしまいました。
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モハ102−913
1994/2/19:西国分寺駅にて
モハ102-910番台は多段式バーニヤ制御の試作車で、
このころは0番台のモハ103とユニットを組んでいました。
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クモハ103−36
1995/1/6:浜松駅付近にて
パンタグラフのないMC103-36
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訓練車
1995/2/26:大宮の留置線、埼京線車内から
訓練車のクモハ。反対側のクハは非シールドビーム車のクハ103-522でした。
- クハ103-540
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三鷹電車区23番編成
1998/7/19:信濃町駅から
三鷹電車区の103系です。大月の事故の後に中央快速線に
三鷹電車区の201系が貸し出され、それを埋める形で
習志野、中原、浦和、松戸の各電車区から電車をかき集めて
1編成にしたものです。
黄色の車体にそれぞれの電車区が表示されたままになっており、
既に営業運転の終わった浦和区の車両も居たので注目されましたが、
すべて廃車になりました。
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桐生で廃車になるクハ
1999/3/13:桐生付近・両毛線車内から
桐生付近で解体されているクハ103−807,814です。
習志野電車区の103系の廃車はここで行われたものが
多かったようです。
なお、イベント用に葡萄色に塗られた103系の一部もここで解体されていました。
103の部屋へ戻ります。
村の入口へ戻ります。